厳しい寒さもやわらぎ、上越市内でも梅の花が咲き、高田公園の桜のつぼみも膨らみ始めています。この良き日に、ご来賓?保護者の方々をお迎えして、166名の卒業生の皆さんの卒業式?学位記授与式を挙行できますこと、感謝に堪えません。
卒業生の皆さん、ご卒業まことにおめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。また、保護者の皆様にも、お祝いを申し上げます。
澳门星际赌城_澳门金沙城中心-游戏平台の話は、今では、遠い昔のことのように思われますが、しかし、5類感染症に移行したのは、昨年の5月のことです。まだ1年も経っていないのです。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは言いますけれども、私たちは、それを記憶し、注意を怠ってはなりません。ウイルスが弱毒化しているとはいえ、今でも、感染者は出ています。どうぞ、これからも、健康には十分に気を付けてお過ごしいただきたいと思います。
さて、本学は教育大学ですので、卒業生の皆さんの多くは、教師に、あるいは、教育に関係する職業に就くことになると思いますが、学校教育は、今、大きな変革の時期にあります。その変革は、世界的な規模で起こっていて、中心にあるのは、資質能力の開発と、目的としてのウェルビーイングの設定だと私は考えています。
この二つのことについてお話します。
まず一つ目の資質能力の開発についてです。資質ということばは生まれながらの性質を表していますが、文科省ではこの資質についても教育可能だととらえていますので、そのようにご理解をいただきたいと思います。
私が中学生?高校生のころは、極端な言い方をすれば、教科書に書かれていることを丸暗記してテストの際にそれをペーパー上に再現することが学力ととらえられていました。だから、私たちは、語呂合わせで年号を覚えたり、元素の周期表を暗記したり、数学のような教科でさえも、テストにでそうな問題の解き方を暗記したりしていました。たとえば、平安京への遷都は、794年ですが、私は、学習参考書に書いてあった「泣くよ坊さん平安遷都」という語呂合わせで記憶していました。奈良から京都に移って、奈良のお坊さんたちが泣いているということです。しかし、こうした記憶の仕方だけでは、その年号を答えることはできますが、なぜ京都に移したのかは説明できません。また、平安京に移る前に10年間ほど、現在の京都府長岡京市の近辺に長岡京があったのですが、そこからさらに平安京に移った理由も説明できません。
もちろん、教師の中には、自分の頭で考えることの重要性を説くひとたちは、当時もいました。ですので、いつから暗記型から思考型へと教育が変化したのかは、確定しにくいのですけれども、学習指導要領の変遷で考えると、明確にそれが示されたのは、「主体的?対話的で深い学び」という文言が記載された平成29年(西暦2017年)告示の小中学校学習指導要領からだという言い方が可能だと私は考えています。
国際的な学習到達度調査として、OECD(経済協力開発機構)が行っているPISAがあります。こうした調査でも、単純な暗記ではなくて、もっと総合的な能力を調査するものになっていますので、資質能力の開発や、思考型教育の重視は国際的な動きだということができます。単純な記憶だけなら、今では、さまざまな情報機器がありますので、それらに頼ればよいということになります。
しかし、私は、暗記あるいは情報伝達型教育がまったく必要ないと言いたいわけではありません。能力を開発するにも、内容は必要だからです。私たちは、何事かについて思考することで、思考する能力を高めることができるのです。語るべき内容がなにもないところでは議論もできません。
だから、皆さんは、子どもたちが思考力や表現力や創造性を高めることができるように、問いかけ、子どもたちの支援をしていただきたいのです。
つぎに二つ目の、目的としてのウェルビーイングの設定についてです。これは、教育の目的をどのように設定するかという問題だと私は理解しています。
ウェルビーイングについては、大学の講義でもよく耳にしたのではないかと思います。「身体的、精神的、社会的に満たされている状態」を指す言葉です。1948年に発効したWHO(世界保健機構)の憲章の中で用いられてよく知られるようになった言葉ですが、近年では、OECDの「ラーニングコンパス2030」の中でも、未来の方向性として示されているものです。そこでは、個人的なウェルビーイングと社会的なウェルビーイングの両方が重視されています。
ウェルビーイングは、「幸福」あるいは「幸せ」と日本語訳されることもありますが、ハピネスとは少し違いがあって、ハピネスが、短期的で個人的な感情状態を意味するのに対して、ウェルビーイングは、もう少し包括的に、個人だけではなく、個人をとりまく状況が持続してよい状態であることを意味しています。
このウェルビーイングは、じつは、とても古い概念でもあります。紀元前4世紀の古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、『ニコマコス倫理学』という書物の中で、「我々の達成しうるあらゆる善のうちの最高のものは何か。人びとの答えは一致する。それはエウダイモニアにほかならない」と述べ、ギリシャ語のエウダイモニア(日本語の訳本では幸福と訳されてます)という言葉で表現しています。この言葉は、哲学系の本ではエウダイモニアと表現され、心理学系の書物ではユーダイモニアと表記されています。
日本の教育基本法では、目的と目標が区別され、目的の方が上位概念になっています。そして、その第一条では、「教育は、人格の完成を目指し???」と書かれています。人格の完成などできるのか、と問いたい気持ちにはなりますが、それを「目指し」と書かれているわけですから、到達しなくてもよいのかもしれません。その概念にあたるものとして、OECDでは、ウェルビーイングが提示されているということなのです。
日々の教育活動としては、個々の目標を定めて、取り組むわけですから、上位概念としての目的をそう強く意識する必要はないという考え方もあるかもしれません。しかし私は、そこに向けてぶれない教育活動を行うという意味で、ウェルビーイングであれ、人格の完成であれ、高い目的を掲げることには大きな意味があると思っています。また、法律や国際的な文書でどう書かれているかということとは別に、皆さん自身が、何を目的として教育活動に取り組むのかも考えていただきたいと思います。
さて、多くの皆さんが、あと2週間もすれば、教師として教壇に立ちます。仕事として教えるという活動に取り組むわけですが、同時に、教師として学び続けることも忘れないようにしてください。教師が、学び続け成長し続ける姿を、子どもたちに見せるということもまた、教育の一環なのだと私は思っています。
最後に卒業生の皆さんのますますのご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げて、告辞といたします。
令和6年3月19日
国立大学法人 上越教育大学長
林 泰成
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